こんなニュースを昨日見ました。

”東京・杉並区 保育所建設に住民が反発、説明会が5時間半紛糾”

ここには根深い日本の教育の歴史、文化があると思います。(記事の詳細はリンク先をご参照ください)

それは、自分流に命名すると

「正解追求型問題解決思考」

つまり「正解はある」「正解はひとつ」という学校教育のスタイルです。誰もが学生時代に年に何回かテストを受け、受験の度に試験問題と向き合ったはずです。そしてほとんどの「問題」の「正解」はひとつだったはずです。

この「試験形式」が「正解追求型」なんです。「正解か不正解」しかなく、正解を積み上げた人が評価される仕組みです。

社会の問題に正解はあるか?

では、今回のような「保育所建設問題」に正解があるのでしょうか?

「正解は建設」or「正解は建設中止」

どっちかが正解なんでしょうか?

そもそも正解がある問題なのでしょうか?

正解が無いのに正解を追求すると何が起きるか?

「対立」

「勝者と敗者を生む」

「強者と弱者を生む」

です。この対立が最悪なのは、どちらも「正解」とは言えないのに、どちらかに決着するということは「力関係」が生まれるということです。

「強い者が勝つ」=「強い物が正解」

「弱い者が負ける」=「弱い者が不正解」

無理やり「正解が作られる」ので「勝者の満足」「敗者の不満足」に大きな「精神的格差」を生み出します。

こんな環境で人は幸せに暮らせるでしょうか?

お互いに仲良く暮らせるでしょうか?

目的なきスピード感が悪者

では、こうなるのは「誰か」が間違っているからなのか?

違います。先程も言いましたが「正解追求型問題解決思考」の文化を継承していることが原因です。

双方が「ひとつだけ正解がある」と思い込んでしまっている、それを前提に話し合っているから「対決」になってしまいます。

kenka

正解が無い問題で正解を追求すると対立だけが残る

ここで問いかけたいのは、

「何を目的として話し合っているのですか?」

という問いです。

「正解追求型問題解決思考」では目の前に出された問題を解決することが「目的」です。

テストで試されるわけですから、目の前にある問題に正解を出すことだけに集中してしまいます。

「問題は与えられるのです」

つまり「保育所を建設するかしないか?に正解を出す」ことが「与えられた問題」であり、その「問題」に「ひとつだけの正しい正解を出す」のが目的になってしまいます。

しかし、人が集団で生活する社会では、みんなの幸せな生活の実現が「目的」です。

だから、もっと大きなことを「目的」にしないと話し合いでの合意は形成できないのです。

「何を正しい問題とするか?」は

「何を目的とするか?」

を優先して考える思考スタイルによって生み出されます。この思考スタイル習得を目的にが教育がなされるべきなのです。

仮にそれを

「目的追求型問題解決思考」

と命名するならば、その「目的」は

「全員で事前に共有した目的を達成するために問題を設定して解決策を見つけ出す」

ことです。理屈っぽくなってすいませんが、ここでのケースで先ほどの「問い」に答えるための「目的」を描くなら

例えばですが、

「全世代、すべてのライフスタイルにおいて住民が幸せに暮らせる仕組みを持った街を作る」

のが事前に「共有すべき目的」です。そのため話し合うのです。保育所建設だけが「問題」ではないのです。

このような目的(理想であり実現を本気で目指すゴール)が事前にあって、これを区と住民が共有することが先にやるべき事なのです。

今回の保育所建設の話し合いにおいて、区と住民が「目的の共有」をしていたとは思えません。

これが日本の教育文化のアウトプットなんです。

目の前に突然用意される「与えられた問題」を解決し続ける。そしてそこには「ひとつだけ正解」がある。という問題解決習慣です。

さらに問題を悪化させているのが

「スピード感」

という今はやりの言葉です。

来年の春までに待機児童問題を解決する、というお役所内の「スピード感」が強引な建設計画のスケジュールを生んでいるのです。世間体だけを気にした期限設定なんでしょうね。

「スピード感」がなぜ問題児なのか?

それは「目的の共有」を省くからです。

今回のケースで言えば区と住民が「どんな街を作るか」という「目的を共有」するための時間を省いてスピードアップを実現しようとしたことが問題を大きくしました。

変な言い方ですが、区と住民は「それぞれ違う問題」に取り組んでいるような状態です。

この原因を作っているのが「スピード感」です。

職場でもよくありませんか?

「事前に説明がなかった」

「いきなり新しいやり方になった」

これらは全て「スピード感」によって引き起こされる不満です。

「目的の共有」してもらってないですよね。

「納得のいく説明」してもらってないですよね。

なぜなら「スピード感」がそこを省かせるからです。

「正解がない問題がある」という感覚が無いから「目的の共有を省くことの不具合」に疑問を感じないのです。

日本の文化となってしまっている「正解追求型問題解決思考」「スピード感」を求めるのは間違いです。

なぜなら「正解追求型問題解決思考」には、「試験」の前に「授業」をして全員が「正解を知る」「正解を記憶する」時間が必要だからです。

世の中で日々起きる問題を解決する前に「授業」で「正解」を知ることなんてでいません。

「正解」を知る「時間」も用意してはくれません。

そもそも、世の中で起きる「問題」に「正解」は準備されてません。

「出した答えを正解にするために時間をかけてトライ&エラーを繰り返すのです」

「スピード感」は正解が無い問題」に「正解を出す」ことを更に強く要求するから問題なんです。

目的の共有が幸せを生む

それでは、どうすればいいのか?

まずは、全員で共有して本気で目指す理想の姿を「目的」として明確にすることです。

・リーダーの最初の仕事は行先を示すこと

・リーダーが次にやることは行先を目指す理由を全員と共有すること

今回のケースで言えば、区長さんが「行先」を明確にして、住民の皆さんに説明をして、理解してもらうことをやらないといけないと思います。

「誰もが行きたくなる行先」

これを描くのがリーダーの責任であり、技能です。

この「行きたい行先」にたどり着きたいから、人は協力したり、譲りあったりするのです。

そのための「時間」が必要なんです。

これはあらゆる日本の組織に共通していることだと思います。

・自分が所属している組織の「目的(行先)」は何ですか?

・あなたはその「目的(行先)」に到達したいですか?

・その「目的(行先)」に到達するための問題は何ですか?

・どうやったら問題は解決するでしょうか?

何度も言いますが

「誰からも魅力的な行先を示す」

これは少なくともリーダーという立場に立つ人が絶対に持つべき「技能」です

リーダーシップの技能習得を日本の教育の「目的」にしないと、幸せな社会は作れないし「対立」は無くならないです。

「キレイ事のように見えるけど魅力的な将来の行先」

が正解の無い時代に「正しく問題」を解決するために必要なんです。

人が幸せになる条件は「夢を持ち、追求し続けること」だそうです。

一度に語り尽くせないので、今日はこの辺にしますが、最後にもう一度言います。

「スピード感という言葉嫌いです」

 

 

 

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